2013年3月26日火曜日

病気になってから今までの経緯

私は2011年に軟骨肉腫という病気になりました。病気になってから今までの経緯を書きます。
病気のことだけでなくプログラミングコンテストの参加歴も書いています。

2011年04月:腰のあたりが大きく腫れ痛いので大学病院に行き検査を受ける。最初の診断(針生検)では良性腫瘍だったが後に悪性腫瘍の軟骨肉腫であることがわかる。

2011年6月:大学病院で腫瘍を摘出する手術を受ける。手術は腰の腫瘍切除と再建術で7時間ほどかかる。
手術が終わってから一週間くらい起き上がることも自力で寝返りも打てず、痛くてつらかった。

2011年7月:大学病院を退院する。このとき腫瘍が軟骨肉腫であることを知る。広範切除はしておらず腫瘍の近くに神経が通っていた部分の腫瘍は切除できなかったので、重粒子線治療を勧められる。

2011年8月:重粒子線治療をする上で再建術に使った金属が治療の邪魔になるということで再度体内から金属を取り除く手術を大学病院で受ける。

2011年9月:重粒子線医科学センター病院で重粒子線治療を受ける。病院では自由にインターネットが有線で使えたので、入院中もGoogle Code Jam Japanというプログラミングコンテストに参加していた。

2011年10月:重粒子線治療を終え、退院する。再建術のときの体を支える金属がなくなったため重粒子線治療のための入院から退院した後の数カ月間は松葉杖を使い、左足をなるべく使わないような生活していた。

2011年11月:重粒子線治療を終えて少しすると左足の痺れが強くなり、たまに歩いているとき立ち止まって休まなければならないときがあった。痺れは腫瘍近くにあった神経が重粒子線治療でダメージを負ったためだと思われる。

2011年12月:再び腫瘍が腰の少し上のほうに再発して、大学病院で3度目の手術を受ける。腫瘍は皮膚に近いところでそこまで大きくなかったので手術後比較的早く退院できた。しかし、誕生日やクリスマスやお正月を病院で過ごすことになった。

2012年3月:立命館プログラミング合宿というものに参加する。この頃には重粒子線治療後の足の痺れもほとんどなくなり、松葉杖もなく普通に歩けるようになった。

2012年5月:腰のあたりにまた腫瘍が再発する。たびたび腰が痛むようになった。

2012年7月:国際大学プログラミングコンテスト(ICPC)の国内予選に参加する。ぎりぎりではあったが私の大学からは初めて予選通過することとなり、感激だった。

2012年9月:大学病院で再発した腫瘍切除の手術を受ける(4度目)。腫瘍が再発してからけっこう時間がたっていたのでかなり大きくなっていた。

2012年9月:大学病院を退院してすぐにICPC OB/OGの会主催の夏合宿に参加する。退院した直後でかなり無理なスケジュールだったが、ICPCで良い成績を残すことは自分の中で一番の目標だったので無理をしても頑張りたかった。

2012年10月:手術後も腰や背中に少し腫瘍が残っているようであり、またこの頃からときどき左足の力がかくっと抜けるときがあった。

2012年11月:ICPC アジア地区予選東京大会に参加する。あと、重粒子線医科学センター病院で診察を受ける。診察では腫瘍が腰から背中にかけて広範囲に再発していて手術・重龍心治療では治療が困難と診断を受ける。

2012年12月:大学病院で5度目の腫瘍摘出の手術を受ける。切除は腰と背中の特に大きくて目立つ部分だけを切除した。このころには左足の痺れ・麻痺が強くなり、退院する頃には左足にほとんど力が入らなくなった。麻痺・痺れは腫瘍が神経を圧迫しているためらしい。場所が場所なだけに手術で取るのは困難なようです。

2013年1月:大学病院を退院した後、国立がん研究センター中央病院でも診察を受ける。ここでも手術で腫瘍を全部切除するのは困難で、完治するのは難しいという診断だった。また、この頃から、左足の麻痺・痺れが強くなり痺れを抑える薬なしでは生活できなくなった。薬を飲んでいてもたまに痺れが強くて夜眠れないときがある。

とまあ、だいたいこんな感じです。最近は腰のあたりの腫瘍も再発して大きくなり痛みが出るようになっていて、左足の麻痺・痺れが少しずつひどくなっていて痛み止めや痺れ止めの薬がないとまともに生活できない状況になっています。左足はほとんど力が入らないですが、かろうじて両足で歩くことができます。